素人発掘調査員による、3ヶ月間の調査の日々を綴った発掘調査員日記。第3回は発掘中に遺物が出てきた時の話や今回の発掘調査場所である古墳時代のお墓・横穴墓について書いています。これまでの記事はこちら。※素人による記事です。調査中学んだことをそのまま書いているつもりですが誤り等多々あるかと思います。
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今回の発掘調査場所は、竹藪の中。調査対象である場所だけ伐採されていますが、そうでない場所は竹がみっしり並んでいます。そんな竹藪の地中からどんなものが出てくるんでしょうか?
遺跡・遺構・遺物
本題に入る前に、「遺跡」、「遺構」、「遺物」について簡単に説明をしておきます。遺跡とは人々の生活の痕跡が残っている場所。遺跡の中にある、動かせないものが遺構、動かせるものが遺物。
例えば、今回の横穴墓はじめ、住居跡、建物跡などは遺構、土器や石器などは遺物。それらが残っている場所が遺跡ということです。
遺物が出た!!!
今回の発掘調査は二手、途中からは3つのグループに別れて作業をしました。私が最初に担当した場所は横穴墓付近。慣れない手がきと手ぐわを使って指示を受けた場所を掘っていると隣の斜面を掘っているグループが騒ぎ始めました。「なんか出てきたよ!」「これ土器?!」「弥生土器?!」
土器の破片
出てきたのは、弥生土器の破片。発掘調査中に結構な数の遺物が出てきましたが、多くが2〜3cm程度の弥生土器の破片。他には江戸頃の瓦や食器、昭和頃に捨てられたであろう古いハサミや瓶など。出てきた弥生土器は原型を留めていないので、初めて土中から出てきた破片を見た時は、何とも言い表せない気分でした。本当にこれが2000年前頃に造られた土器なのかという疑い(笑)、もし本当にそうならば、一言、スゴイ・・・(笑)。それにしても石や土の塊に見える・・・。
見分け方
素人の私には土器の破片が土器に見えるまで(土器だと見分けられるまで)しばらくかかりました。
しかし、考古学者である職員さんは、これ土器ですか?と持っていくとすぐに「これは土器」「これは石」「これは違う」「これは分からないので洗って確かめます」と瞬時に分類していきます。どうやって見分けているのか聞いてみると・・・、
弥生土器は土から作られますが、つなぎとして石や砂を土に混ぜます。それらが見られれば土器、見分けずらい場合は光に当てて確認すればわかりやすいと言うことでした。その石や砂がきらっと光るからです。
見分ける方法はいくつもあるようですが(主に考古学者である職員さんの勘)、もう1つここに書くならば、煤。弥生土器は野焼きという方法で土器が焼かれていたそうです。広い場所に窪みを作り、そこに土器を置いて藁をかぶせ焼くという方法だそうです。野焼きをする際、土器が地面に触れている場所に煤がつき、それが何千年たった今でも土器の表面には黒っぽく残っています。
別の発掘調査場所で過去に出土した土器(原型をとどめており大きいものだと高さが50cm以上)を見せてもらう機会があったのですが、それらにも確かに煤は残っており、触ると手に煤がつきました。昨日、先週、昨年作った土器ではありません。約2000年前の土器です・・・。まさか、弥生時代の人々も数千年後にこうやって掘り出されるとは思ってもいないでしょう・・・。
土器の保管
土中から出てくる土器の破片や、怪しいなというものは全て職員さんに確認してもらい、袋に入れ何月何日どこから出土したのかメモを残し保管します。土に埋もれていたものなので、どれも土だらけですが、そのまま一旦保管。掘り作業が終わった後、皆で土器洗い、注記作業をするとのことです。ドキアライにチュウキ?!?!これらはまた別記事で説明していきます。
古墳時代の横穴墓から弥生時代の土器が出てきた理由
今回発掘しているのは古墳時代のお墓である横穴墓。しかし、出てくるのは弥生土器の破片ばかり。弥生時代の方が時代は前なので、単純に考えれば、弥生時代の層の上に古墳時代の遺構がありそうな気がします。今掘っている場所は逆。なぜでしょうか。
古墳時代のお墓、横穴墓
まず先に横穴墓について。古墳時代=古墳のイメージしかなかったので(笑)、簡単に横穴墓を説明すると、横穴墓と呼ばれるお墓には、亡くなった方を埋葬し、またその家族が亡くなると同じ穴に入れられていたそうです。遺跡によっては被葬者の位や性別が分かるような埋葬品が出てくることもあるそうです(私が携わった今回の調査では、出てきませんでした!)。
そのお墓は埋葬される部分だけが広く(とは言っても立ち上がることはできない高さでドーム状になっており、玄室と呼ばれます)、その手前に1mにも満たない狭い道・墓道があり、お墓への入り口から玄室へ繋がっているという構造です。
なぜ古墳時代の遺跡から弥生時代の遺物が出てくるのか?
上に説明した横穴墓周辺を地山まで掘っていると、古墳時代の埋葬品でも須恵器でもなく、弥生土器が出てきました。なぜ弥生土器が古墳時代の横穴墓付近から出てきたのでしょうか。
職員さんに聞いてみると、今回の調査場所の近くに弥生時代の遺跡(今は団地になっています)があるそうで、そこから流れてきたのではないか、とのこと。土の表面に近い部分の方が時代が後で、地山に近づくにつれ時代が前に遡るように思いますが、必ずしもそうではないことが分かりました。
また、今回の調査では、これと言って古墳時代の遺物は出てきませんでした。古墳時代より後の時代に掘り返されたり、穴があれば物を捨てたくなるという人間の心理からゴミ捨て場にされたり、竹藪の斜面の下に家を建てたり畑を作る際、層がごっちゃになってしまったのではないか、ということでした。
何も「ない」ことがわかったのも一つの成果
「掘ってみたがお目当てのものは出てこなかった」、これは発掘調査をする上でとても大切なことだと職員さんはおっしゃってました。出てくるか、出てこないか、それは調査をしないと分かりません。今の技術では掘ってみないと地中に何があるのか分からないので(もしくは高価すぎて手を出せない)、掘ってみるしか手段はないのです。
それなりの遺物が出てきた場合
もし、一大ニュースになり得るような遺物が出てきた場合はどうするのか。その場合は調査場所に寝泊まりし、一晩中警備体制をとるそうです。発掘調査場所は公にしていなくても、興味のある方はどこからか聞きつけてやってくるそうです。
また、上に述べたような土器の破片であれば特に何もしませんが、立派な遺物が出てきた場合は、どこから出てきたのか正確な場所を記録に残す必要があります。何m地点、どの層から出てきたのか、測量し図面に残していくそうです。(計測や図面の話はまた別の記事に書く予定です)
遺物は落し物?!
最後にもう1つ、面白いな!と思った話を。出土した遺物は全て拾得物(落とし物)として扱われるそうです。聞いた時は面白くて笑っちゃいました。2000年前の土器が落し物として警察に届けられるんです。その後は警察と教育委員会のやりとりとなり、価値のある埋蔵文化財か判断され、文化財として認められた場合、都道府県の所有物となるそうです。職員さんも、「警察に書類出さないといけません〜」と調査期間の終わりの方でおっしゃっていました。
以上、発掘調査員日記③は遺物が出てきた時の話でした。次回は竹藪の中での発掘調査の大変さについて!それでは、また!
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