ニュージーランドで働けるかもと1ヶ月前に分かった時は、あまりにもあっさりとマネージャーからメールが届いたので、心の準備をする前だったが、今準備を進めていくうちに、心の準備ができ始めてきたし、楽しみになってきて、あと2ヶ月後にはニュージーランドにいるんだと思うとワクワクしかしない。小屋入り前は、私の山小屋日記を読めばわかるが、毎回毎回不安しかないのだが、今回に限っては本当に楽しみだ。なんでだろうか。自分でもよくわからない。
1年目、2年目に一緒に働いたブリッジと同じ小屋に行けるとわかっていること、何年も前からいつか湖のそばに住みたいと思っていたのが今回実現すること、ヘリコプターで入山、下山ができること、休暇の予定として乗馬やグライダーなんかをブリッジと計画していること、一つ一つの小さな楽しみが積み重なっているのかもしれない。
ビザは申請はしたが、まだ取れたわけではない。それでも、航空券は高くなる前にと予約した。そして、支配人が連休で街に降りる前に、下山日の相談をする。前に話はしていたが、はっきり決めていなかった。
きっと2、3年前ならシーズン7ヶ月間のうち1番と言っても過言ではない紅葉シーズンの真っ只中、繁忙期に辞めるなんて、口にすることすら難しかっただろうし、自分のことよりも小屋の仕事のことを考えギリギリまで働いていたと思う。今回は、気を使わずに思い切って毎日満室が続く日に辞めさせてほしいと相談をする。一週間長く働くこともできるのだが(そうすれば少しは小屋のお客さんの数も落ち着く)、私自身の出国の準備と、小屋生活と小屋生活の間に休みを取ることを優先した。前回は下山から出国まで1週間しかなく、役所に行ったり荷物の準備をしたりあっという間に時間がすぎ、息つく暇もなかったのだ。
このことをブリッジにも相談すると、辞めること、辞める時期にお客さんが多いからと遠慮すること、これはthat’s not your problem, they can get someone else とバッサリ言ってくれた。そう、私の代わりなんていくらでもいるんだし、私が考えることではない。この感覚は日本の外に出なければ(私の場合はニュージーランドに行かなければ)持てなかったと思う。頭の中でわかっていても、その考えを元に行動することは、昔の私には難しかった。今なら(もちろん抵抗は少なからずあるが)他人のことを考えずに自分に必要なこと、自分がやりたいことを優先して物事を考えられるようになってきた。
私が支配人に辞める日について話をすると、すぐに山小屋の求人サイトにお知らせを上げるように、手続きをしていた。私が辞めたら人手が足りないとか、忙しい時にみんなに迷惑をかけるとか、そういうことは、私が考えることではないのだ。
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小屋の中はというと、130日目はてんてこまいな1日となった。まず朝から、登山客が小屋へ来るなり「救助要請をして欲しいんですが、頭から血を流している男性がいます」と。お昼には、明日の予約を天気が悪いので今日に変更したいのですが、と。そしてまた違う電話では、消防関係の人からそちらに泊まる予定のお客さんで足を痛めていてかなりペースが遅いのですが、自力でなんとか行くと言っています」と。結局スタッフが徒歩で迎えにいき、小屋に着いたのは19時半。他にも日本人のようにカチカチと登山計画を立てていないフランス人のお客さんや、息子さんがきっちりと英語、日本語の両方で計画表を作ってくれたと誇らしげにその紙を持ってきてくれたアメリカ人のお客さん、60才から山登りをはじめ75才で百名山制覇したという80手前のおばあちゃん、来月からフランスへ留学に行くという今回2回目の宿泊のお客さん、どのお客さんと話しても面白い1日だった。
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小屋の外は気付けば一部だけ、日当たりの良いところが紅葉していて葉が黄色になっている。3年前に働いていた時は大して咲いていなかったアザミはそこらじゅうで満開で、背の高さも私を越している。それから、サラシナショウマが蕾をつけ始め、これから小屋の前がふわふわと白い花に包まれるのが楽しみだ。
ここ数日湿度が高く、標高1500m地点にしては暑い日が続いていたが、131日目である今日は乾燥していてカラッと秋の晴れ空が広がる。暑さは戻らず、気温はどんどん落ちていくのだろうか。私は寒い寒いと何枚も着込んで働く方が好きだ。
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