毎日のように仕事についてや、小屋での働き方、労働時間、シフトの組まれ方について、考えてしまうし、ブログにも書いてしまう。なんでもすぐ比べてしまうのが私の癖なようで、比較しては、今の状況がどうすれば改善されるのかと、行動に移すのは別として、1人で仕事をしながら考えてしまう。
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最近は日替わりで誰かしら機嫌があまりよろしくない。何日も引きずる人はいないが、大抵1日1人はムッとしている。比較的閑散期といえる6月は、こんなことはなかった。最近は休憩時間は短いし、仕事中にホッとできる暇は、本当にない。そんな日が毎日続いていれば、誰でもムッとしてしまうのだろうか。私は、自慢ではないが、誰よりもムッとしていない自信がある。心の中では誰よりも常にムッとしていると思うが、表には出さない。出しても無駄。そう思っている。それにムッとしたところで状況は良くならない。ネガティブな方向に力を発揮するくらいなら、落ち着き一歩引いて、焦るな自分とブレーキをかけ(私の場合、ブレーキは無意識にかかる)いつも通りに振る舞えるようエネルギーを使った方が、絶対に良い。自分自身にも、他人にも、そしてお客さんにも、それが1番理想的だ。
私には皆の前でムッとできる人のことが100%理解できない。そうなってしまう気持ちはわかる、わかるが、それを食洗機にあたったり、物に当たったり、表情に出したり、人との会話の返しに出したり。
それならムッとなる前に、その原因を誰かに伝えたり、解決策を提案してみたり、自分自身で仕事ではない場面で発散したら良いのに、と思う。気を遣いすぎる日本人にはストレートにものを伝えるのは難しいのかもしれない。
あぁ、この、ムッは、本当に無駄だと思うし、私はその、ムッをすぐに感じ取ってしまって、ぐったり疲れてしまう。他人のことなんて気にしなくていい、と言われるかもしれないが、感じ取ってしまうのも、様子を伺ってしまうのも、私の癖だ。
んー、疲れる。
個人個人が、ムッとなる前の対策を打つ以外の解決策は、働く時間を短くすることだと思う。ただ、皆疲れているだけだ。ギスギスしたまま、これから8月のお盆に9月のシルバーウィークを迎えたくない。
仕事が完全に分業化され、1人で淡々と仕事ができるなら、ムッとしている人がいても気にならないのかもしれないが、毎日皆で境界線があやふやな大量のタスクをこなすとなると、ムッは避けたいところ。
3ヶ月後に迫るニュージーランドの山小屋生活では、このムッの数がすくないこと心から願う。
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今日で、ここでの生活が100日目を迎えたらしい。100日の前半は長かったが、後半はあっという間に時間が過ぎた気がする。時間の進み方がグラデーションのように速くなった。
小屋からの景色も、まわりの植物も、天気も、空気の匂いも、着る服も、歩く登山客も、全ての様子が変わった。
あーあ、今日も外に出ずに終わってしまった。写真も撮ってない。5連勤はあと2日で終わる。それから1日休んだら、8月だ。
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