今日からは4連勤。パッとした晴れではなく、昼頃から曇り、夜には雨が降った。支配人が、雨酷いね、と言うまで天気に無関心だった私は、何だかとても、もやもやしている。まるで今日の空模様のようだ。
思ったことを口に出したり、声をかけながら仕事をしたり、誰かのためにはっきりメモを残したり。言葉や文字にすることが当たり前だったニュージーランドの山小屋生活。仕事内容もマニュアル化され印刷したものが配られる。洗濯室に行けば、その紙を無くしたとしても、指示があちらこちらに書いてある。冷蔵庫の中身だって誰が見てもわかる野菜でさえ、野菜の名前といつ切ったのか日付が書いてある。調味料のボトルなら開けた日付を書くし、冷凍食品なら解凍日を書く。
それとは対照的なここでは、皆あまり言葉を発しないように感じる。発したとしても曖昧な言葉でやり取りが進んだはする。こっちが私の当たり前だったはずだが、今となっては、時には、はらわたが煮え繰り返るほどに、この空気を読む雰囲気が私にはどうしても合わない。わからなければ聞けばいい。分かりにくいことは皆で顔突き合わせて共有する時間があればいい。でも、なんとなーく進んでいくのがここのやり方だ。
仕事が分担されているのなら、それぞれ何となく進めても良いかもしれない。しかし、明確に分かれているわけではなく、皆で全てをやる。なのに空気を読む。ムズカシイ。
と、何度も書いてきた同じようなもやもやを、ここに書いてしまった。
空気を読むことが疲れたのか、誰が何を考えているのか考えながら動くのに疲れたのか、とにかく休憩時間は1人になりたい。夜には熊と猿に関しての講習会が近辺の山小屋スタッフに向けて行われると言うことだったが、体調もすぐれず、また新たな人に会ったりペコペコする気にもならず、私は不参加。私はご飯を食べたらさっさと篭ってしまいたいのだ。
いや、そもそも空気なんて読まなくていいのかもしれない。顔色も伺わなくてもいいのかもしれない。
それでも私は人の動きや顔の表情、声に敏感なのか、すぐにその人の機嫌を探っては、1人で疲れてしまう。だから事前に空気を読んで動いたほうが、自分のためだと言うことだ。
こんな調子であと半年、やっていけるのか。ふとした時に自分のことが心配になる。
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今日は、外に出る気にならず、何も観察しておりません、、、。
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