なんだか数日前から、ふわふわ浮いている。身体はここにあるのに、地面に足がついているはずなのに、気持ちが過去現在未来を行き来している。ニュージーランドの話が固まってきたからだろうか。2シーズン過ごしたときの思い出や、秋から始まるかもしれない新たな3シーズン目のことを考えていると、時間の感覚がぐらんぐらんと揺れ始め、自分がどこにいるのかわからなくなってくる。
この一年くらいよく考えるのは、時間と距離の感覚を歪ませたい。この二つの概念にとらわれたくないし、簡単にいうと視野を広げたいということ。
時間は、遺跡発掘の仕事をしたり、遺跡を見に行ったりして、何千年、何万年前のことを考えることが多くなった。
距離は、ニュージーランドと日本の移動はもちろん遠いがここ数年で2往復し、オーストラリアや中東、北アフリカへも行った。
何か新たに行動を起こす時、せかせか時間に追われたくないし、遠いと距離を言い訳にしたくない。時間と距離の感覚をどんどん歪ませて、自分の中にある普通を、ひっくり返したい。
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今日1日は、何事もなく過ぎ去った。そういえば、夕食前、やっと足が地面についていると感じたかもしれない。
ここ数日の天気はからりと晴れ、早朝は寒いと思うことさえある。そして午後に短時間の雨。雨が止んだ後は雲が流れ始め、ピンク色の空が1日を贅沢に締めくくる。
今日も例外なく、そんな1日で、いただきますと皆で手を合わせた頃、空は黄色からオレンジ、そしてピンクへと色を変えていく。一口二口食べたところでみんな我慢ならず、外履き用のスリッパで、1人はカメラを持って、1人はスマホを持って、1人は何も持たず、外へと出ていく。私は部屋に戻り自分の充電がいまにも切れそうなカメラを手にして、河原へ走る。いつぶりだろうか、定点観察地まで足を運ぶのは。ピンクに染まった空は待ってくれない、私はカメラ片手に雨上がりで涼しく空気が一掃された森の中を走り河原をめざす。
雲の位置は低く、川はいつも通り流れている。ピンク色の空は、グレーへと色を変えていき、1日の終わりを告げてくれる。毎日太陽がのぼり、沈んでいるはずだが、私の身体に太陽が沈んだのは数週間、いや1ヶ月ぶりかもしれない。この時間外に出ることをしていなかった。
帰り道、暗くなった森の中を歩いて小屋に戻る。水たまりを避けながら、どこに足を置こうか考えながら前へ進む。
3ヶ月後の今日は日本からニュージーランドに飛ぶ予定だ。チケットはまだとっていないし、ビザの手続きもこれからだ。が、そんな気がしている。
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