104日目、105日目 日本人が日本人である限り

昨日は12時間労働だった。今日は休み時間が細切れで休んだ気がしない。こんなにブーブーいうのなら、読者の方には山小屋に戻ってこなければよかったのではと思われるだろうが、それでも山小屋で暮らすことは、嫌いではないし、好きなんだと思う。

山で暮らすことが好きかどうかと、働く時間が長いことや、組織として上手く回ってないことに対しての文句は別問題だ。

それでも、毎日なんとか仕事をこなしているのは、次に行く場所が決まったからだろう。ニュージーランドの山小屋はまるで働き方が違う。今決まっているのは、2シーズン働いた小屋には戻らず、違うトラックの違う小屋に行くこと。15連勤、6連休をシーズン中半年繰り返すシフトとなっている。連勤はきついが、小屋は変われど会社が同じである限り、働き方の文化はある程度同じだろうし、仕事は細分化、明確化され、働きやすいのではないかと思っている。

今の山小屋とニュージーランドの山小屋を、いちいち比べてしまうが、日本の山小屋でのやり方はニュージーランドでは通用しないし、反対もしかり。空気を読みながら仕事をするのは日本人だからこそできるし、日本人にしかできないだろうと散々書いてきた。

昨日の休みで聞いたポッドキャストで、さらにそれを確信した。一週間で消えてしまうポッドキャストなのでここにリンクを貼ったところで、聞きたいと思った人が聞ける可能性は低いが、とりあえず貼っておく。

私がいつもブログで紹介している、コテンラジオ繋がりのポッドキャストだ(深井さんと樋口さんが出ているコテンラジオ以外のポッドキャストを最近よく聞き漁っている)。ここでは、政治の話からどんどん進み、途中日本独自の感覚とその感覚が海外にはないという話をしている。具体的に言うと、日本人は”なんかいいな”という感覚をもって動き、機能性に対しては無関心だということ。ポッドキャストの中では働き方という観点からこの話をしているわけではないが、通ずる場面があると思った。

ポッドキャストの中で話しているのは、例えばトイレの音姫や、便座があたたかいこと。これらは日本特有のもので、海外のトイレにはまず、ない。日本人が音が流れたら、便座が温かければ、心地よいなとそういう漠然とした”いいな”という感覚からモノを作っていく一方、例えばアメリカのトイレだと手をかざすと手拭きのペーパータオルが一定量出てくる機能性重視のモノがある。

この感覚は日本人しか持てないもので、海外の人に説明をしたところで理解されづらいし、説明すら難しい。

「なんかいいな」で物事が進むことって、確かにたくさんある気がする。そして、機能性が重視されていないことも思い返せばあれもこれも、と思いつく。

ニュージーランドで一緒に働いていた友人(ニュージーランド人)が、日本で働いてみてit’s not organizedと言っていたのも、ここでさらに深まった。誰もオーガナイズしようとしていないし、求めていない。求めなくても、雰囲気で皆動くことができるし、相手や周囲の人が”いいな”と思うことを予測し、それを行動に移すことができるからだ。オーガナイズする必要性がない、そもそも概念すらないのかもしれない。

だから、もし私が今の山小屋でニュージーランド式にオーガナイズしようとしたところで、他のメンバーが”日本人”である限り私がやりたいことは伝わらないだろうし、上手くいかないだろう。皆でニュージーランドや海外のオーガナイズされた会社で、研修でもすれば別の話だが。

そして、ポッドキャストの中で、日本は海外のものをそのまま取り入れることなく、それらを魔改造して落ち着いている、と言っていた。これも、面白い。この背景には一神教であるか、そこにロジックがあるのか、という宗教の話にまで広がる。

異なる文化、民族を理解することで、自分、日本、日本という文化をさらに深く理解できると思っているし、反対もそう。そのためには、人間の深いところにある信仰や宗教をその国、民族の言語を通して理解しなければ、完全に分かったとは言えないんじゃなかろうかと、去年の旅行の時からなんとなく感覚を持っていた。もちろん日本人同士でも、この人イマイチ掴みづらいな、なんてことはあるが、無意識に社会の中に埋もれている暗黙の了解のような文化は、民族、国ごと、大きな枠組みの中でしっかりと根付いているはずだ。言葉にする必要すらなく、家族や学校、社会の中で当たり前に行われており、その中に外から飛び込んだ時、感じる違和感は、ただの違和感ではなくその概念がない人間にとって理解ができず脳がバグっているのだろう。

と、なんとも真面目なレポートみたいな日記になってしまった。旅行や海外での仕事を通して感じるこの違和感は、勉強することで解像度が深まり、人間に対しての理解も進むのだろう。なぜ日本人が空気を読みながら仕事をするのか、仕事を細分化し個人プレーできるようなシフトを組んだらいいのに、という私が頭の中でここ数ヶ月ぐるぐる考えていることは、簡単には解決できなさそうだ。日本人が日本人であり日本に住んで日本で働く限り、そう簡単に海外のような働き方に切り替えられる、とかいう話ではない。

言語や宗教、そしてそれらがうねうねと形を変えてきた歴史。もっと勉強したいなとも思う一方、毎日の生活、仕事から学んで自分から気づきを発見していきたいなとも思う。

そんなことを考えていると、日替わりで誰かしらピリッとしていることや、団体のお客さんの酒の飲みっぷりが荒いこと、トイレが居酒屋のトイレ化していること、とにかく忙しいことを一歩引いて見ることができるような気がする。

なんだか今日の日記は長め。明日は平和に終わりますように。

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