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64日目〜69日目 他人の機嫌に振り回されたくない

この6日間は、私の今いるエリアの紅葉のピークと言えるだろう。山の上は、2週間ほど前にピークを迎え、”紅葉”はだんだんと標高を下げてきている。日向ぼっこを最近していると、前回のブログに書いたが、あれからお天気は相変わらず良いのだが、気温が更に一段階落ちたような気がする。日向ぼっこの回数は減ってしまった。朝はキーンと冷たい空気が窓から入ってくるし、自分の部屋には暖房をつけるようになった。暖炉の暖かさも心地よく感じられる。

こんなに寒くなってくれば、小屋の中も静かになり、ぽつぽつとやってくるお客さんとゆっくりお話しして、スタッフものんびり働き、、、4年前初めて働いた時はそんな風だったと記憶している。しかし去年も今年もそんなことはなく、ひっきりなしにお客さんはやってくる。寒くなって木々が葉っぱを落とし始め、森の中も少しずつ寂しくなるはずなのに、小屋の中は大繁盛、暖炉の前はお昼過ぎから席取りゲームが始まる。

お客さんが多いということはそれなりに忙しいということ。何度も書くが、半年前まで働いていたM小屋での連勤やcookとしての仕事が自分のキャパを超えていたため、そこで大変鍛えられ、私個人的には今の状態は忙しくてたまらない、頭も体もヘロヘロだ、ということはない。

しかし、ここ最近は、みんなが疲れている様子を見て、私自身も疲れたと感じている気がする。気のせいかもしれないが、それが今日の気づきの一つである。

特に、食洗機の前に立つと、人が変わったかのように、何人かのスタッフは、げっそりと疲れ始める。食洗機でお客さんの使った皿を洗うのは、毎日当番が決まっている。ニュージーランドの山小屋生活でいうならDシフト、dishesの役割だった。思い返すと、ニュージーランドでは、dishesの人たちは洗い終えた後こんなにも疲れ果てていなかった気がする。

私自身は、皿洗いは好きだし、そんなに疲れは感じない。しかし、洗い物をする人を観察していると、約30分洗い続ける中で、疲れがドッときている人が多いように感じる。食洗機をガッシャンガッシャンと必要以上に音を立て、それが厨房の中に響き渡る。ニュージーランドのキッチンの中なら爆音で音楽が流れているが、日本では誰かが会話を始めない限り、皿洗いの音と換気扇の音しか聞こえない。

食洗機の前に立つ人が、疲れ果てている、機嫌がそんなに良くなさそうだ、というのは私というフィルターを通して見えている光景であり、本当のところは本人に聞かない限り答えはわからない。それでも、洗い物をしている人を見るだけで、私はなぜか吸い取られるように疲れを感じてしまう。

お客さんの夕食の片付けをする時間は、皆がお腹を空かせる時間でもある。1日の最後、あと少しで従食の時間という時、充電が切れ始めるのだ。私のバッテリーは切れることを知らず、比較的長持ちする気がしている。それとは相対的に、ぷつんと切れてしまいそうな人や、切れてしまった人を見ると、私のバッテリーの残量まで狂い始めてしまう。

こんなことニュージーランドであっただろうか?疲れてしまった時は言葉に出して疲れているだの、働きたくないだの、誰もがわかるように手抜きをしてみたり、仕事中に座って休憩し始めたり。皆自分の体の調子に対して正直だった気がする。それと比較すると、日本人は真面目な人が多い。疲れた〜っとだらけたり、手抜きする人はいない。無理に頑張ってるからか、食洗機の前では、黙りこんでマイナスのエネルギーを発しているように感じる。

黙って無理してでも真面目に働くのが正解とか、手抜きするぐらいでちょうど良いとか、そういう話ではない。他人の疲れたオーラにいちいち反応してしまうのが嫌だなぁという、話だ。自分の機嫌ぐらい取ってくれよとも思うが、わたしの力ではどうにもならない。他人の機嫌なんてコントロール不可能だ。

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もっと明るいことでも書きたかだったが、今日はここまで。周りに気を使いすぎなのか、気を吸い取られてしまったのか、今日3回目の睡魔が襲ってきたので、寝ることにします。

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